令和4年9月26日、田中角栄元首相著の『日本列島改造論』を読破した。2022年9月23日、西九州新幹線が開通したが、新幹線が開通する度、日本の公共交通政策は田中角栄元首相著の『日本列島改造論』を基に進められているという話を聞き、かつてベストセラーになった田中角栄元首相著の『日本列島改造論』を一度読んでみたいと思い、古本屋で探し、2020年6月6日に購入し、読破しました。 田中角栄元首相というと、日中国交正常化に尽力された方なので、中国を連想される方も多いと思いますが、私は共産主義が大嫌いなので、必然とし

令和4年9月26日、田中角栄元首相著の日本列島改造論を読破した。2022年9月23日、西九州新幹線が開通したが、新幹線が開通する度、日本の公共交通政策は田中角栄元首相著の『日本列島改造論を基に進められているという話を聞き、かつてベストセラーになった田中角栄元首相著の『日本列島改造論』を一度読んでみたいと思い、古本屋で探し、2020年6月6日に購入し、読破しました。

田中角栄元首相というと、日中国交正常化に尽力された方なので、中国を連想される方も多いと思いますが、私は共産主義が大嫌いなので、必然として、中国自体には興味がなく、中国人の知り合いもおりません。田中角栄元首相著の『日本列島改造論』を読みたいと思ったのは、現在の公共交通政策や都市開発や地方開発等に大きく影響を与えた田中角栄元首相著の『日本列島改造論』という書籍の内容を知りたかったからです。

私は幼少期には田中角栄氏のことを好きではありませんでした。連日、テレビでロッキード事件が報道され、「記憶にございません(小佐野賢治氏談)」、「100万円のピーナッツ」などの言葉が流行し、私も幼少期には大してメディアリテラシーもなく、メディアが報じるまま、犯罪者というイメージを洗脳されていた。その後、私も成長し、また、メディアで田中角栄氏の逸話を報じる中、田中角栄氏に対するイメージが変わった。今太閤、コンピューター付きブルドーザーという異名を持ち、卓越した政治手腕を持った政治家だったと思うようになった。中でも、人たらしと言われる他人への気遣い。田中派の一回生議員が美人局に遭い、解決のために多額の金銭が必要となってしまった。様々なツテを頼ったがどうしても100万円(現在の価値では3倍以上)足りない。選挙を終えたばかりで借金もあった議員は万策尽き、田中の事務所に電話をかけて借金の申し込みをした。事情を聞いた田中から「分かった。すぐに金を用意するから取りに来るように」と言われ、急いで事務所に向かうと、田中本人は急用で外出しており、議員は留守番の秘書から大きな書類袋を受け取った。その中身を確認すると300万円が入っており、同封されたメモには以下のように書かれていた。「トラブルは必ず解決しろ。以下のように行動しなさい。1. 100万円を使ってトラブルを解決すること。2. 100万円を使って世話になった人に飯を奢る乃至、必ず御礼をすること。3. 残りの100万円は万一のトラブルの為に取って置くように。以上これらの金は全て返却は無用である」その議員は感涙し、後々まで田中への忠誠を守り通した(ウィキペディア参照)という。まあ、お金の使い方も豪快だが、人に対する気遣い、こんなことをされたら男が男に惚れてしまうだろうと思った。

また、1962年、第2次池田内閣の大蔵大臣に就任して居並ぶ大蔵官僚を前に挨拶をした時の逸話。「私が田中角栄であります。皆さんもご存じの通り、高等小学校卒業であります。皆さんは全国から集まった天下の秀才で、金融、財政の専門家ばかりだ。かく申す小生は素人ではありますが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきており、いささか仕事のコツは知っているつもりであります。これから一緒に国家のために仕事をしていくことになりますが、お互いが信頼し合うことが大切だと思います。従って、今日ただ今から、大臣室の扉はいつでも開けておく。我と思わん者は、今年入省した若手諸君も遠慮なく大臣室に来てください。そして、何でも言ってほしい。上司の許可を取る必要はありません。できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う。以上!」(文春オンライン参照)という大蔵大臣就任のスピーチをした。人心掌握に長けた素晴らしいスピーチである。人間・田中角栄元首相には魅力を感じている。生前、敵対していた石原慎太郎氏も『天才』という田中角栄元首相の小説を執筆した。魅力のある政治家だったのであろう。

田中角栄元首相著の『日本列島改造論は、過密した既存の都市の問題を解決し、過疎化し衰退する地方を開発によって問題を解決する政策を提案している書籍である。しかし、東京都という都市に関しては、同じ東京都でも地域性がはっきり存在していると思う。かつて東京がコンクリートジャングルと称された時代があったが、東京都世田谷区出身の私は、幼少期、東京都世田谷区にコンクリートジャングルなどを感じたことがなかった。世田谷区は自然に囲まれていて、のどかな街だったからである(今は分からないが、少なくとも私の幼少期はそうだった)。社会実習では小学校近くのイモ畑でサツマイモ堀りをしたり、毎年、こどもの国へ遠足に行ったり、小学校五年には三浦半島、小学校六年には日光東照宮に社会科見学に行ったことを覚えている。ただ、光化学スモッグで授業が休校になったことはあった。それに私の幼少期の東京の河川は汚かった。現在、東京の河川の水質が改善され、東京都の水が販売されていることに、幼少期の東京の河川を知っている私は驚いている。のんびりしていても世田谷区は教育には熱心な区で、私の小学生の同級生で中学受験をする連中もおり、麻布中学や早稲田中等部に進学する人もいた。僭越ながら私も学習塾や算盤塾に通っていた。東京の下町では、せかせかという感じがするが、少なくとも私の幼少期の東京都世田谷区はのんびりという感じの地域だったと思う。昭和47年に出版された書籍なので、技術の進歩等により、現在では解決している問題がある一方、未だに解決されていない問題も多くありました。この田中角栄元首相著の『日本列島改造論』を読み、個人消費の拡大(60頁参照)、コンピューターを中心とした知識集約型産業構造への転換(68頁参照)など、田中角栄元首相の先見の明が感じられた。

次に、人間回帰の街づくり、人間が人間らしい生活を営める街づくりを提唱している。①地域開発の拠点として十分な都市機能をもつことである。その都市の住民だけでなく、周辺の農山村に対しても情報、流通をはじめ、医療、教育、文化、娯楽などの機会を提供するため必要な施設を整備することである。具体的に言えば、学校、総合病院やコンサートホール、デパート、専門店街、(映画館、ボーリング場)などを大都市と同じようにワンセットで揃えることである。②自ら発展しうるだけの産業経済活動を持つことである。③豊かな自然に恵まれ、地域に文化の光をともす役割を果たすことである。④地元住民が親しい人間関係を持てるニューコミュニティーの新しい地域社会でなければならない、と述べている(166頁参照)。田中角栄元首相も社会と自然との共生を重視し、「水中の有機物は、ごく少量であれば動物性プランクトンが食べて無機化する。その無機物を、今度は植物性プランクトンが吸収して光合成で酸素を放出する。これが自然の浄化作用の一例である(97頁参照)」と述べ、循環社会を奨励している。自然の中で、人間が人間らしく快適に生活できる街づくりを提唱しているのである。ただ、全ての地域が金太郎飴のような同質化した街になることには疑問を感じる。地域間にも競争があり、同質化してしまったら差異がなくなり、活力が喪失されるのではないだろうか。やはり個性ある地域、街づくりが求められると思う。山口県萩市などは江戸時代の情緒が漂う個性ある素晴らしい地域だと思う。

田中角栄元首相は、大規模工業立地に関して、臨海型工業立地と内陸型工業立地に分け、今後の工業再配置について述べている(83頁参照)。大都市と地方との距離は、公共交通政策によって縮めることを考察している。距離の短縮により情報格差をもなくそうと考えています。新幹線による政策は、全国新幹線鉄道網理想図(121頁参照)によってビジョンを示し、高速道路に関しては、国土開発幹線自動車道路網図(126頁参照)によってビジョンを示している。この『日本列島改造論』の出版後の新幹線開通状況を照らし合わせてみると、『日本列島改造論』の影響の大きさを感じる。私は息苦しい混み合う通勤ラッシュが大嫌いである。昨今、通勤ラッシュの緩和が訴えられてきているが解決するのだろうか?コロナにより、リモート出勤が増え、通勤者数が減少すると、鉄道会社は利益や採算を訴え、運行本数の減少を実施した。通勤者が減って、快適な鉄道空間が作られようとすると、本数を減らして、ラッシュ状態に戻そうとする。利益と快適な空間はトレードオフな関係で、利益を優先するのか、快適な鉄道空間を優先するのかのジレンマの中で通勤ラッシュの改善が達成するのかは疑問である。最近、公共性に関して考えることがある。民営化するとサービスが向上すると言われていたが本当だろうか?郵便局が民営化されたが決してサービスが向上したように思えない。昨今、両替に手数料を取るようになった。採算を求める民営化によって、むしろサービスは悪化したのではないだろうか?国鉄が民営化して、不採算の路線が廃線になり、地域の足を奪う。公共性を再考すべきサービスもあるのではないかと考える。余談ですが、都市伝説では、目白の田中邸から新潟の実家まで3回曲がれば着くという話を聞いたことがあります。

ビジョンに向かって新たな都市開発政策を実施するにあたり、スクラップアンドビルドの重要性(87頁参照)も述べていて、創造的破壊の必然性を伝えている。昨今、1962年の東京五輪時に整備されたインフラの老朽化が問題視されている。インフラは国家の活力を支えるものであるから修復を急がねばならないと思う。

この田中角栄元首相著の『日本列島改造論』の中で感銘を受けたのは、財政運営の考え方です。今後の財政運営は、単年度均衡の考え方から脱して、長期的な観点から立った財政の均衡を重視していくべきである。つまり、現在の世代の負担だけでなく、未来の世代の負担をも考慮した積極的な財政政策を打ちだすことが必要である。子供や孫たちに借金を残したくないという考え方は、一見、親切そうにみえるが、結果はそうではない。生活関連の社会資本が十分に整備されないまま、次の世代に国土が引き継がれるならば、その生活や産業活動に大きな障害がでてくるのは目に見えている。美しく住みよい国土環境をつくるには、世代間の公平な負担こそが必要である(72頁参照)と記載し、積極財政を推奨しています。私も同感です。

さらに日本国の経済成長を重視しています。適当に高い経済成長ができる体制を前提としない限り、日本経済が当面している多くの問題を解決することは困難である(64頁参照)。福祉は天から降ってくるものではなく、外国から与えられるものでもない。日本人自身が自らのバイタリティーをもって経済を発展させ、その経済力によって築き上げるほかに必要な資金の出所はないのである(63頁参照)。経済成長こそ国家繁栄、国家福祉の源であり、そのために経済成長は必然なのである。民主党政権時、民主党の議員が、これから日本の経済は成長しない、成長をしないことを前提に政策を立案しなくてはならないと馬鹿なことを言っていた。初めから国家の成長を諦めている党に政権を預けることはできないと憤りを感じた。初めから諦めている奴に経済成長ができるわけがない。その後、安倍晋三氏が政権を奪取し、総理大臣に就き、三本の矢の経済政策を実施し、失業率の改善と日本国の経済成長を達成し、民主党の無能さを証明した。類似した環境下、他の先進国がきちんと経済成長をしているのに、日本国は経済成長しないと初めから断念しているなんて、馬鹿な政党だとつくづく思った。また、共産主義国家は資本主義を導入して経済成長を果たした。従来の共産主義国家の計画経済といえば、人権無視の死ぬまで強制労働をさせてダムを作ったり、計算違いの計画農業政策を実施し、凶作になり、餓死者が大量発生しながらも、止めず、隠蔽と言論統制言論弾圧によって、失敗を成功したと嘘の情報を流布してプロパガンダするもの。田中角栄元首相著の『日本列島改造論』内で、日本の高度経済成長を成し遂げた理由のひとつに自由民主党が国民多数の支持をえて、政治を安定させてきた(69頁参照)ことを挙げているが、私も同感である。安定した政権の下にこそ経済成長や文化の繫栄があるのだ。民主主義国家の日本国には潜在能力があり、それを開花させれば無限の可能性がある。正しい方法を選べば、これからも日本国は経済成長ができる。

意外だったのは、田中角栄元首相の書籍なので、新潟県に関する記述が多いかと思っていたのですが、あまり新潟県に関して記載されていなかった。むしろ四国に関する記載の方が多かった。記述で気になったのが、「ペリー」を「ペルリ」(26頁参照)、「アウトバーン」を「オートバーン」(127頁参照)と記載されていた箇所に違和感を得た。

 

かなり古い書籍なので、読む前は、今、読んで勉強になるのだろうかという疑問をもって読んだが、読んでみると、地域開発に関する理念や重要点等、参考になる内容がたくさんあり、有意義な読書となった。