令和4年11月9日、エリック・A・ポスナー、E・グレン・ワイル共著、安田洋祐監訳・遠藤真美訳の『ラディカル・マーケット』という書籍を読破した。とある日、NHK教育のテレビ番組を観ていると、その番組にて、「二次の投票(QV)」(138頁参照)という斬新な投票方法を紹介していた。「二次の投票(QV)」の出典として、エリック・A・ポスナー、E・グレン・ワイル共著、安田洋祐監訳・遠藤真美訳の『ラディカル・マーケット』という書籍を挙げていた。私は、その従来とは違う投票方法に惹かれ、投票方法の詳細を知りたくて、書店で

令和4年11月9日、エリック・A・ポスナー、E・グレン・ワイル共著、安田洋祐監訳・遠藤真美訳の『ラディカル・マーケット』という書籍を読破した。とある日、NHK教育のテレビ番組を観ていると、その番組にて、「二次の投票(QV)」(138頁参照)という斬新な投票方法を紹介していた。「二次の投票(QV)」の出典として、エリック・A・ポスナー、E・グレン・ワイル共著、安田洋祐監訳・遠藤真美訳の『ラディカル・マーケット』という書籍を挙げていた。私は、その従来とは違う投票方法に惹かれ、投票方法の詳細を知りたくて、書店で、エリック・A・ポスナー、E・グレン・ワイル共著、安田洋祐監訳・遠藤真美訳の『ラディカル・マーケット』を購入し、令和4年11月9日に読破しました。

「ラディカル(過激な・急進的な、根本的な・徹底的な)」という言葉を聞いて、大嫌いな共産主義社会主義の臭いを少し感じながら、こよなく民主主義と資本主義を愛する私は、共産主義社会主義の書籍だったら、途中で読むのを止めればいいやと思い、読み始めました。33頁、43頁、46頁に私が尊敬する偉大な経済学者のケインズの話が記載され、内容も民主主義や資本主義に関する話だった上、面白かったので、引き込まれるように読み進めて行った。340頁にカール・マルクスが登場し、組合、搾取、プロレタリア等の話になり、共産主義社会主義の話になって、「えっ騙された」と感じながら、340頁迄、読み進めて、今更、止められないなと考え、最後まで読み切りました。ちなみに中央計画制という社会主義経済がなぜ失敗したのかについては、情報と計算という要因を挙げて詳細に説明しています(389頁参照)。

私の所感ですが、このエリック・A・ポスナー、E・グレン・ワイル共著の『ラディカル・マーケット』という書籍は民主主義と資本主義の書籍だと思います。スタグネクオリティ(経済成長の鈍化と格差の拡大が同時並行で起きること)(46頁参照)の時代に対する処方箋として、著者のエリック・A・ポスナー氏、E・グレン・ワイル氏は、①「二次の投票(QV)」、②「共同所有自己申告税(COST)(11頁参照)、③移住(95頁参照)、④個人間ビザ制度(VIP)(222頁参照)、⑤機関投資家への株式保有制限(277頁参照)等を提案している(383頁参照)。どの提案も斬新である。私自身の所感としては、斬新過ぎて、現実に採用かつ機能するのだろうかという疑問を感じている。しかし、環境を分析し、今、何が問題なのかが分かっていながら、その問題を解決するための具体的な方法を提示できないことが多い最中、著者のエリック・A・ポスナー氏、E・グレン・ワイル氏は、具体的な方法を提案していることに敬意を感じている。本当に素晴らしいことだと思う。かなり昔から、貧富の格差が問題視され(37頁参照)、富の分配の機能不全が指摘されているが、格差は広がる一方で、解消される気配もない。また、政治参加の希薄さ等が指摘されているが、これも改善される気配がない。これらの問題に対し、共同所有自己申告税(COST)によって、遊休資産を使用して社会の富を増加させ、富の再分配を可能にし、貧富の格差の縮小を図り、二次の投票(QV)によって、真の民意を政治に反映させようと考えている。

地主も独占者と同じように、土地を売る時に、最初に公正な価格を提示した人に売らずに、高額な価格が提示されるまで合意を渋ることで(市場への供給を絞るのと同じことになる)、売却益を増やすことができる。その間は、土地は使われないか、有効に活用されない。このため、私的所有には実際に効率的な資源配分を妨げるおそれがある(82頁参照)。著者たちは、現状の私有財産制度は、「投資効率性」においては優れているものの「配分効率性」を大きく損なう仕組みであると警告している。私的所有を認められた所有者は、その財産を「使用する権利」だけでなく、他者による所有を「排除する権利」まで持つため、独占者のように振る舞ってしまうからだ(418頁参照)。

この『ラディカル・マーケット』という書籍では、「独占」は円滑な経済活動を阻害する要因と考えている。「独占」という言葉を初めて使ったのは、アリストテレスで、数学者、哲学者であるミレトスのタレスとの議論の中で生まれたものである。アダム・スミスと、その同時代人は、国家が関係した法的な取り決めが独占の最大の源泉だと見ていた。アメリ独立運動には、イギリス東インド会社による茶貿易の独占支配との闘争という一面もあった。スミスの時代には、大半の事業は規模が小さく、資本は地元の銀行や一族に頼っていた。運河や建設のような大規模な事業や計画になると必要となる資本は大きいので、政府が引き受けたり、取りまとめたりするのが普通だった。しかし、テクノロジーが進化し、法律が発展したことで、起業家が十分な規模をもつ事業体をつくって、巨大な産業プロジェクトを引き受けられるようになった。こうした企業の資本を確保するために、起業家は株式と債券を不特定多数の投資家に販売し、何年もかけて返済していった(252頁参照)。

このような大規模な資本プールが発展すると、経済学者は企業が競争を制限するのではないかと懸念するようになった。株式会社には特権が与えられ、所有権が保護されているため、国家から他に支援がなくても独占を達成できるようになるからだ。19世紀には、アントワーヌ・オーギュスタン・クールノーが数学的手法を用いた先駆的な経済分析を行って、取引を阻害し、生産を減少させて、より高い価格を設定できるようにする独占のインセンティブを研究した。経済学者のジュール・デュピュイは、二次の三角形を使って、独占支配がもたらす社会的な損失、いわゆる「死荷重」を例証した。レオン・ワルラスは、私的独占(土地の私的所有とともに)が自由市場の活動を妨げる最大の障害であり、格差を生み出す主要な原因であると見ていた。フランス人経済学者たちが説くまでもなく、独占は危険であることをアメリカ人は分かっていた。19世紀に巨大企業が一気に現れた。多数の会社の規模があまりにも大きくなったため、競争はほとんどなくなった。1890年、議会はシャーマン法を可決し、(特に)「取引を制限する結合」を禁じた(253頁参照)。その後も、時代と共に変わりゆく企業形態に対して、反トラスト法、クレイトン法などの法律を成立させ、独占に対処していった(255頁参照)。

競争のない市場は、そもそも市場ではない。一党独裁国家が民主主義国家になりえないのと全く同じである(292頁参照)。市場が正常に機能するため、公正な競争ができる市場を創造するのである。そして、市場経済を成立させる三つの原則があり、①自由、②競争、③開放性、である(57頁参照)。市場経済を成立させるためにも、公正な競争を守っていかなくてはならない。

ちなみに、監訳者の安田洋祐氏は、「日本語版解説」において、配分の非効率性に関して、非効率性の正の側面として、①予算制約、②生産財市場の独占化、③思考コストの三つを挙げて、非効率性を擁護している(420頁参照)。

『ラディカル・マーケット』という書籍には、経済学者等の数多くの学者の知恵が集積されているが、中でも、市場急進主義のヘンリー・ジョージ、そして、ジョージ主義の経済学者の中でも重要な人物であるウィリアム・スペンサー・ヴィックリーが挙げられる(29頁参照)。また、斬新な制度の提案においては、ハーバーガー税のアーノルド・ハーバーガーや土地税のヘンリー・ジョージに影響を受けている(420頁参照)。加えて、一連の提案も、経済理論と思想史を基礎としている(383頁参照)。故に『ラディカル・マーケット』という書籍を読むと、経済学史、思想史を学ぶことができる。経済学は、173頁のパレート効率性、200頁の自由貿易の起源、214頁のポール・サミュエルの定理、258頁のバーリ&ミーンズの所有と経営の分離、320頁の限界革命等が記載されており、経済学の発展を知ることができ、思想史は、99頁の民主主義の起源から立憲君主制功利主義等の思想の変遷を知ることができる。

「いま当たり前のものとされている制度のすべて、自由市場も、民主主義も、法の支配も、かつてはラディカルな提案だった」(397頁参照)。私は、この『ラディカル・マーケット』という書籍を読破し、提案がかなり斬新だと感じたが、この一文を読み、確かにそうだなと思った。格差が広がり、経済が停滞し、政治が混乱する「スタグネクオリティ」の時代には、使い古されたアイデアに安住してはならない。最大のリスクは静止状態に陥ることである(397頁参照)。テクノロジーの進化と共に社会は変化し、社会に適した制度が求められてくる。貧富の格差の解消。そして、守らなくてはならない普遍的な価値観、制度である民主主義。民主主義の根幹は、公正な選挙によって、行政の長(為政者)が選ばれ、主権在民の中で、民意が政治に反映されることである。公平で公正な社会の中、民意が正しく政府に伝わる方法を考えるべき時なのかも知れない。非常に面白い書籍だった。