令和5年2月15日、森毅著の『数学受験術指南』という書籍を読破した。 タイトルの“数学受験術”という文言に惹かれ、数学を解くどんな裏技があるのだろうかと思った。それも受験に際するテクニックが知れるかも知れないと、不覚にもわくわくしてしまった。しかし、読み進めると、「いやあ、この本、役に立たないな」とずっと思いながら読むことになった。例えば、野球の守備が上手くなりたくて、『野球守備術指南』という本を買って学ぼうとする。当然、グローブの運び方、ポジションの位置取りの仕方、足の運び方、スローイングの技法など

令和5年2月15日森毅『数学受験術指南』という書籍を読破した。

 

タイトルの“数学受験術”という文言に惹かれ、数学を解くどんな裏技があるのだろうかと思った。それも受験に際するテクニックが知れるかも知れないと、不覚にもわくわくしてしまった。しかし、読み進めると、「いやあ、この本、役に立たないな」とずっと思いながら読むことになった。例えば、野球の守備が上手くなりたくて、『野球守備術指南』という本を買って学ぼうとする。当然、グローブの運び方、ポジションの位置取りの仕方、足の運び方、スローイングの技法などの具体的な技術が記載されていると思う。しかし、読んでみると、打者は様々な打球を飛ばすので、定型な練習は無駄で、個人にはそれぞれ個性があり、守備には個人それぞれの得意な型があるので、自分に合った守備の手法を見つけることが大切だとのみ記載されていたとする。多分、読者は、「どこが守備術指南だ?」と思って、誇大広告でJAROに訴えてやろうかと思うだろう。森毅著の『数学受験術指南』という書籍はそういう書籍だった(笑)。

 

読みながら、役に立たないな、止めて他の書籍を読んだ方が有意義だなと感じながら、書籍は最初から最後まで読むという私の習慣が影響し、また、児童書のように平易な文章で記載されているため、心のどこかで、「まあ、この本ならばすぐに読み終えるだろう」と感じていたため、結局、止めるタイミングを逸し、読破してしまった。

 

私の読書の目的は、いつも書籍から何かを学びたいと思って読んでいる。自分の知りたいこと、興味のあることを考え、それを教えてくれそうな書籍を選んで読んでいます。数学が好きで、数学の技術が知りたくて、選びましたが、はっきり申し上げますがお勧めできない書籍です(あくまで個人の感想です)。私も読書は貴重な時間ですので、読書をするのならば、良書と出会いたいと強く考えております。機会コストの喪失。この書籍を読まずに、他の書籍を読んでいたら得られたであろう知識や知恵。もったいないです。森毅著の『数学受験術指南』という書籍は、著者のエッセイのようなもので、私は学校の勉強なんかしなくても京都大学に入学できたんだという、いわば自慢話ばかりでした。面白かったのは、「優等生は京大に行き、ヤクザなのが東大へ行く、という傾向があった(118頁)」という文章。嘘か本当かは分からないが、この文章に京大の東大に対するライバル心が垣間見られて面白かった。著者の森毅氏と全く面識がなく、よく知らないのですが、ただ、数学者として何度かテレビで観たことがあるので購入しましたが、森毅著の『数学受験術指南』における森氏の哲学と私の哲学は真逆で、私は森氏の考えにほとんど賛同できませんでした。この森毅著の『数学受験術指南』という書籍を読んでも変えるつもりはありません。

 

この書籍で、強いて受験に役立つ箇所を挙げるとすれば、「6数学答案の書き方(124~143頁)」の章だけです。答案は採点者への手紙(124頁参照)。試験は問題と受験者との一方的なコミュニケーションではなく、問題作成者および採点者との双方向のコミュニケーションである。問題作成者が何を考えて出題しているのか、この解答を採点者はどう思うだろうかと考えながら解答すること。そのために、文章にせよ(125頁)、答案におけるメモの重要性(126頁参照)、句読点を打つ(127頁参照)、書かなくてよいこと、書くべきこと(130頁参照)、読みやすい答案とは(132頁参照)、減点されるポイント(135頁参照)等の受験時における答案の書き方を指南している。

 

森毅著の『数学受験術指南』において、読むべき箇所は、「6数学答案の書き方(124~143頁)」の章と野矢茂樹氏の「解説(217~225頁)」の章のみ。いや、この書籍を読破した方は、絶対に野矢茂樹氏の「解説(217~225頁)」の章を読まないと危ない。読み始めるといきなり、「努力というものの効果を期待していないからこそ、こんな本を書いておるのだ」(14頁参照)とある。いかにも森毅さんらしい台詞だが、この言葉の文字面だけ受けとめて、しかも真に受けて「努力やーめた」なんて考える人が出てこないともかぎらない。特に純真でおっちょこちょいの若者にはそんな危険性がある。いったい、この一言はどういう意味なのか、それは本書を熟読玩味して。その上で得心しなければならない(217頁参照)。私もこの書籍を読んで、真似をすると人生を見誤ると感じた。

 

私が教えた(野矢氏も数学の家庭教師をし、高校生を大学合格に導いている。森氏とは相反する方法で)ような学生に対しては、森流よりも野矢流が正しいと信ずる。森先生は「高校数学」と「受験数学」と「大学数学」を区別する(221頁参照)。森さんの考える数学の入試問題は、その受験生がどれほど「分からない」を「分かった」に変えられるか、その力をテストするのである。あるいは、完全に分かりきらないのが普通のことであるから、その分かりきらないところをなんとかヤリクリして筋道を見つけていく、その力をテストする。森さんは受験数学を高校数学とはまったく異質な、むしろ大学数学に通じるものとして、描き出している。いや、大学数学というよりは数学者の数学に通じるものとして、と言った方がよいかもしれない。数学者は常に「分からない」に直面している。やったことがあるものは分かるがやったことがないものにはお手上げなんていうのでは、研究なんかできない。そこで、「分からない」なかで手探りし、なんとかヤリクリをして、それを「分かった」に変えていく力、それが求められる。受験数学と同じではないか(222頁参照)。

 

『数学受験術指南』と題された本書は、実は「人生術指南」の書なのである(225頁参照)。私もタイトルは代えた方はいいと思った。この書籍で良いところは、どんなに数学が不得意な文系の人間でも簡単に読めるところであろう。数学関係の書籍とは思えないほど、数式や定理、計算などの数学自体の話は、ほとんど、いや全く記載されていないからだ(笑)。