令和5年2月20日、河合敦著の『逆転した日本史』という書籍を読破した。 昨今、私の生徒時代に学んだ日本史の教科書の内容が新たな発見により変更されていることを知り、自分の知識をアップデートするため、河合敦著の『逆転した日本史』という書籍を読破した。 蘇我氏を滅ぼした主役が中大兄皇子ではなく、軽皇子であった(23頁参照)、富本銭より前に無紋銀銭が鋳造されていた(25頁参照)、平安京遷都の理由は早良親王の怨霊だった(29頁参照)、鎌倉公方と関東管領の関係(41頁参照)、「死する太子、生ける偉人を走らす(67

令和5年2月20日河合敦著『逆転した日本史』いう書籍を読破した。

昨今、私の生徒時代に学んだ日本史の教科書の内容が新たな発見により変更されていることを知り、自分の知識をアップデートするため、河合敦著の『逆転した日本史』という書籍を読破した。

蘇我氏を滅ぼした主役が中大兄皇子ではなく、軽皇子であった(23頁参照)富本銭より前に無紋銀銭が鋳造されていた(25頁参照)、平安京遷都の理由は早良親王の怨霊だった(29頁参照)、鎌倉公方関東管領の関係(41頁参照)、「死する太子、生ける偉人を走らす(67頁参照)、薬子の変から平城太上天皇の変へ(99頁参照)、等々、興味深い内容で満載だった。面白かった。

また、聖徳太子像(92頁参照)、源頼朝(111頁参照)、足利尊氏像(120頁参照)が別人物ではないかと考えられるようになり、変更されている。私が習った偉人の顔が変わってきているのである。アップデートしなければならない知識だ。この河合敦著の『逆転した日本史』では記載されていないが、かつて教科書に載っていた高野山成慶院蔵の長谷川等伯(信春)筆の武田信玄像も畠山義続なのではないかと疑われ、消えていると聞く。クイズ番組を観ると、未だに正解の武田信玄として、この像が使われているのをしばしば目にするが、習った日本史の年代によって偉人の印象が全く違うというのも困った問題である。加えて、任那が「加耶」に変わっていた(107頁参照)。私も「任那」で習った世代なので、どうもしっくりこない。以前、日本書紀を読んだが、日本書紀にも「任那」(宇治谷猛訳 『日本書紀(上)』 133頁参照)と記載されている。今の生徒は日本書紀を読んで任那を理解できるのだろうか。

この書籍で、一番、同感したのは、「私は吉田松陰先生は偉大な教育者であり、あそこまで弟子たちが過激になったればこそ、幕府は瓦解に至ったのだと思っている(167頁参照)」という一文。私もそう思います。よく分かっているなと感じた。また、坂本龍馬が教科書から消えそうになった件(83頁参照)。著者が坂本龍馬が教科書から消えるニュースを聞いて腹立たしく思った(84頁参照)のと同じで、私も司馬遼太郎著の『龍馬がゆく』を読破し、坂本龍馬が好きなので、このニュースを聞いた時には憤りを感じた。さらに坂本龍馬だけではなく、吉田松陰先生も削除対象になっていたことに憤りを抑えることができなかった。絶対に吉田松陰先生と坂本龍馬を削除してはならない。さらに「勝者が歴史をつくる」(168頁参照)に関して。それは事実だと思う。しかし、薩長藩閥だけが行っていたのではなく、徳川幕府も勝者だった時に同様に行っていた。お互い様かな。

この河合敦著の『逆転した日本史』という書籍は興味深い記述が満載で面白い書籍だったが、士農工商鎖国に関しては異論があります。まず、河合敦著の『逆転した日本史』という書籍では、江戸時代、士農工商という身分制度はなかった(45頁参照)と記載されているが私はあったと思っている。なぜならば、渋沢栄一が著書『論語と算盤』という書籍の中で、「士農工商」という身分制度が江戸時代に存在したことを証明する「維新前の士農工商の階級は極めて厳格であった。・・・・・蓋しやむを得ないことである」(渋沢栄一著『論語と算盤』276頁参照)と文章が記載されているからである。実際に江戸時代の幕末に生きた人物が述べているのだから、これほどの証拠はない。河合敦著の『逆転した日本史』という書籍では、勝海舟の曽祖父や曲亭馬琴伊能忠敬近藤勇岩崎弥太郎が武士の権利を買ったケースを挙げている(48頁参照)が、これが士農工商を否定する”新発見”なのだろうか。私が生徒の時代からこのようなケースがあることは分かっていた。その上で士農工商はあると教えていたのではないだろうか?長州藩久坂玄瑞桂小五郎桂小五郎は養子)も医者の子だったが武士になった。渋沢栄一も農民から武士になった。でも以上の話は、私が生徒の頃から知っていた事実で、士農工商身分制度を覆す“新しい”発見ではない。さらに、よく士農工商明治維新後、薩長藩閥が流布したデマだという話を聞くことがあるが、「維新前の士農工商の階級は極めて厳格であった」と述べた渋沢栄一幕臣である。徳川幕府側の人間が述べている話なのである。さらに農民を体験し、幕臣になって述べた言葉なので信憑性は高いと思われる。確かに武士の権利が容易に買えたのかも知れないが、大枠や基準として士農工商という身分はあったのではないだろうか。篤姫徳川家定に嫁ぐ際、篤姫島津斉彬と近衛忠凞の養女になっている。これは将軍の妻になるため、家格を合わせようとしたのである。こんなに身分や家格にこだわった時代に身分制度がないというのは考えづらい。

次に、河合敦著の『逆転した日本史』という書籍では、そもそも江戸時代は国を鎖してなんかいない(145頁参照)とあるが、私は鎖国はあったと思っている。まず、貿易の取引量がすごい(145頁参照)と記載されているが、量が多いだけで、基本的には、長崎の出島における朝鮮王朝(朝鮮国)及び琉球王国との「通信」(正規の外交)、中国(明朝と清朝)及びオランダ(オランダ東インド会社)との間の通商関係に限定されていた。狭い範囲の国だけの貿易であった。また、本書では、たまたま交際を求める国が皆無だったから、開国しなかっただけのこと(146頁参照)とあるが、幕府は、1806年、天保の薪水給与令を発布。外国船に燃料、飲料水の補給を認めることで、穏便に退去してもらおうと考えた。1825年2月には異国船打払令を発布。決して、いつでも開国してあげるよという態度ではないように思える。さらに清国がアヘン戦争にて英国に敗れたことを知っても、1842年に天保の薪水給与令を発布して、穏便に外国船を追い返すことを方針としていた。決して開国を許容していたようには思えない。1844年7月29日、オランダ政府はオランダ国王の親書を軍艦で江戸幕府に届ける旨をあらかじめ商船船長のヒイトル・アオヘルト・ヒツキから江戸幕府に通知させたうえ、8月15日には軍艦長ハーエス・コープスがこれを届けた。親書は江戸幕府鎖国を解くよう、またオランダ船やその船員、日本人に対する待遇を改善するよう求めたものだった。大体、鎖国していないのに開国するというのは歴史の整合性が合わない。幕末、天皇の勅許がないのに開国したという幕末の志士の大義名分はどこに行ってしまうのだ。鎖国していないのならば、そもそも勅許など要らないのでは。実際、海禁していたのは事実。吉田松陰先生も黒船に乗って密航しようとして野山獄に投獄された。遭難した中浜万次郎も帰国できたとしても命の保証がないと思っていた。様々な要素を鑑みて、鎖国はあったのではないかと思っている。

私は、決定的な新事実が発見されて、従来の定説が変わるのは構わないと思うが、決定的ではない発見で、容易に定説を変えない方がいいと思っている。世代間の知識格差が生まれる。当然、本当に決定的で確実な真実が発見されたのであれば、従来の定説を変えるべきだが、容易に定説を変えることには懸念を感じる。1192年に源頼朝征夷大将軍に即位し、鎌倉幕府が成立したでいいのではないかと思う。守護・地頭を配置する権利を得るなど、実質的な側面から1185年に鎌倉幕府が成立した説の台頭(34頁参照)。実質って(笑)。そんなことを言ったら、この河合敦著の『逆転した日本史』という書籍で記載されている通り、承久の乱鎌倉幕府が勝利し、名実ともに全国政権になった1221年が鎌倉幕府の成立年になっても構わないではないか(34頁参照)。源頼朝が死んだ後に鎌倉幕府が成立ことになる。違和感を覚えるよね。

河合敦著の『逆転した日本史』を読んで、著者が色々な日本史の教科書に目を通していることが分かり、素晴らしいと思った。現在、通史(日本史B)の教科書を発行しているのはわずか四社だけである。山川出版、東京書籍、実教出版清水書院(195頁参照)。受験では、どの教科書でも記載されている問題でなければ不公平が生じる。教員の大変さを感じた。令和5年2月20日、2022年4月の今年度から使われている東京書籍の高校生向け地理の教科書「新高等地図」に約1200か所もの誤りが見つかりましたというニュースが報じられた。いやあ、教科書の間違えはマズイよね。教科書は間違っていないという絶対的な信頼の下、生徒は勉強するものだから。この教科書を使用している高校生が可哀想だと思った。推敲、校正をきちんとやれば、こんなに多くの間違えは出ないはずなのだが。

しかし、読む本、読む本、下品な排泄物に関する記載が必ずある。まるで、三十年以上も、朝から晩まで、四六時中、私に黙って、陰でこそこそと勝手に私の家をのぞき、ストーカーしている卑怯者の寄生虫連中が私が読んでいることを知って、本を差し替えているように思える。

「主体的・対話的で深い学び」の実現。教育とは、子供たちが自らの力で問題点を見いだして解決策を考えたり、自分の構想を効果的に説明したり、議論する力を身につけさせることである(194頁参照)。

そして、歴史には叡智が詰まっている。私たちはもっと過去の日本を知り、そこから叡智を拾って、未来に向けた解決策を見いだすべきではないだろうか(194頁参照)。