令和5年3月9日、福間良明著の『司馬遼太郎の時代』という書籍を読破した。 福間良明著の『司馬遼太郎の時代』という書籍を読んだ理由は単純に私が司馬遼太郎氏の大ファンだったからである。ほとんどの司馬作品は読破した。私が吉田松陰先生を最も尊敬するようになったきっかけも司馬遼太郎氏の『世に棲む日日』を読んだからである。司馬遼太郎氏の『世に棲む日日』を契機に、徳富蘇峰著の『吉田松陰』、山岡荘八著の『吉田松陰』、童門冬二著の『小説・吉田松陰』等の小説を読破した。さらに吉田松陰先生のことが知りたくて、古川薫著の『留魂

令和5年3月9日、福間良明著の『司馬遼太郎の時代』という書籍読破した。

福間良明著の『司馬遼太郎の時代』という書籍を読んだ理由は単純に私が司馬遼太郎氏の大ファンだったからである。ほとんどの司馬作品は読破した。私が吉田松陰先生を最も尊敬するようになったきっかけも司馬遼太郎氏の『世に棲む日日』を読んだからである。司馬遼太郎氏の『世に棲む日日』を契機に、徳富蘇峰著の『吉田松陰』、山岡荘八著の『吉田松陰』、童門冬二著の『小説・吉田松陰』等の小説を読破した。さらに吉田松陰先生のことが知りたくて、古川薫著の『留魂録』、梅原徹著の『吉田松陰―身はたとひ武蔵の野辺に―』、奈良本辰也著の『一番詳しい吉田松陰松下村塾のすべて』、古川薫著の松下村塾吉田松陰―維新史を走った若者たち―』、松田輝夫編著の 『吉田松陰と塾生―松陰の塾生についての記録集―』、木村幸比古著の『図解・吉田松陰―幕末維新の変革者たち―』、よしだみどり著の『知られざる「吉田松陰」-「宝島」のスティーヴンスンがなぜ?-』、森友幸照著の『吉田松陰-誇りを持って生きる』、森友幸照著の『吉田松陰ザ・語録』、一坂太郎著の『吉田松陰とその家族』、北影雄幸著の『吉田松陰の主著を読む』、別冊宝島吉田松陰松下村塾』、池田貴将著の『覚悟の磨き方・超訳吉田松陰』、司馬遼太郎奈良本辰也橋川文三他『吉田松陰を語る』などの多数の吉田松陰先生に関する書籍を読み漁った。この司馬遼太郎奈良本辰也橋川文三他『吉田松陰を語る』という書籍では、「松陰の資質とその認識」と題して、司馬遼太郎氏は橋川文三氏と吉田松陰先生について対談している(司馬遼太郎奈良本辰也橋川文三他『吉田松陰を語る』32頁参照)。

吉田松陰先生が主人公(高杉晋作と共に)である『世に棲む日日』が司馬作品の中で、私は一番好きなのだが、この福間良明著の『司馬遼太郎の時代』という書籍ではほとんど語られることはなかった。資料を別にすれば(ⅱ頁参照)、本文中には、139頁と214頁の二箇所しか記載がなかった。非常に残念である。本書中では、司馬作品に関しては、ほとんど『坂の上の雲』の話題だった。『世に棲む日日』は司馬作品の中で9番目に売れた書籍(523万4000部)だった(ⅱ頁参照)。私も貢献している。『世に棲む日日』は大河ドラマにはならなかったが、新春ドラマとして正月にドラマ化された。本当に素晴らしいドラマだったので、私はそのDVDを購入した。ちなみに『龍馬がゆく』、『国盗り物語』、『花神』、『翔ぶが如く』、『徳川慶喜』、『功名が辻』という六つの司馬作品がNHK大河ドラマになり、司馬作品が広く知られるようになったことが148頁以降に記載されている(148頁参照)。私は、昨年(令和4年)、『峠』という司馬原作の映画を観に行った。以前、『関ヶ原』、『梟の城』も映画館で観た。テレビで『幕末』や『人斬り』も観た記憶がある。司馬作品は小説も読んだが、映像もたくさん観た。司馬遼太郎氏には本当に楽しませてもらったのである。

福間良明著の『司馬遼太郎の時代』という書籍を読み、司馬遼太郎氏は、様々な業界の色々な人々に影響を与えていると思った。読者の政治スタンスもさまざまだった。『ダカーポ』の特集「国民作家司馬遼太郎の謎」では、のちに首相となる安倍晋三首相(自民党)と菅直人首相(民主党、当時)がともに、司馬作品への思い入れを綴っている。安倍晋三総理は、「改憲」「戦後レジームからの脱却」といった「保守」のスタンスを鮮明にしていた。それに対して、菅直人総理は市民運動の出身で、1978年には社会民主連合の結成に参加した経験を持つ。同誌の特集趣旨における「朝日もサンケイも絶賛というのが不思議」という記述は、「革新」「保守」を問わない読者層の広さを、如実に示している(ⅲ頁参照)。尊敬する安倍晋三総理も司馬作品には思い入れがあったようだ。

福間良明著の『司馬遼太郎の時代』という書籍は、①「余談」と没落後の教養主義、②サラリーマンの「教養」、③メディアの機能と相互作用、④「傍系」「二流」の軌跡、⑤戦中派の情念、⑥「司馬史観」をめぐって、という六つの論点で構成されている(5頁参照)。第一章では司馬遼太郎こと、福田定一氏の生い立ちが記載されている(17頁参照)。幼少期の福田少年の読書好き(22頁参照)と数学が苦手(27頁参照)だったことなどが書かれている。第二章では司馬遼太郎氏が新聞記者になり、新聞記者から歴史作家になる過程が記載されている(61頁参照)。興味深かったのは、司馬遼太郎氏と三島由紀夫氏との関係である。司馬氏と三島氏は対照的な人生を歩んできた。しかし、司馬原作の『人斬り』という映画に三島氏は薩摩藩刺客・田中新兵衛役で出演している(122頁参照)。また、司馬氏は産経新聞の記者時代に寺回りの記者として、1950年7月2日の金閣寺放火全焼事件の記事を書いていた(74頁参照)。本書中に司馬氏が記載した新聞記事が掲載されている(76頁参照)。司馬氏の記者時代の記事が拝見できて幸せである。“金閣寺放火事件”。そう、三島氏が文壇で高い評価を獲得し、読売文学賞を受賞した三島作の『金閣寺』という小説の基になった事件である(121頁参照)。対照的な人生を歩んできた司馬氏と三島氏。しかし、奇遇な運命で結ばれていたのであった。

司馬の歴史小説は明らかに、「昭和50年代」の大衆歴史ブームに重なり合っていた。なかでも、ビジネスマンやサラリーマンたちに、熱烈に支持された(171頁参照)。確かに事実である。ただ、元々、歴史が好きだった私は学生時代から司馬作品を読んでいた。少し違うな。1987年に『韃靼疾風録』を書き上げると、それを最後に歴史小説の筆を止め、史論・文明論・紀行文の執筆に専念した(213頁参照)。司馬歴史小説が好きで、読み漁っていた頃、次回作を期待していたのに、突然、司馬氏の新しい歴史小説が発行されなくなったのを覚えている。また、以前、読破した磯田道史著の『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』という書籍には、「若き日の司馬さんを「走る棺桶」とでも言うべき戦車に乗せた日本陸軍」(磯田道史著 『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』 73頁参照)という記述があった。この件に関しては、本書では、「八九式中戦車や九七式中戦車は、鋼板が薄いうえに、砲の貫通力も低く、「敵の戦車に対する防御力も攻撃力もないにひとし」かった(48頁参照)」や「ノモンハン事件の際には、九五式軽戦車の砲手が「隊長、私の射つ弾丸は、たしかに命中するのですが、敵戦車は跳ね返します」と上官に報告していた」(51頁参照)などと記述されていて、「走る棺桶」を立証していた。加えて、磯田道史著の『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』では「(司馬さんは)昭和を題材にした小説をついに描くことはありませんでした(磯田道史著 『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』 183頁参照)と記述があった。この件に関して、本書では、「文芸春秋で司馬の担当編集者だった半藤一利によれば、司馬は「参謀本部を主人公にする作品を書こうかと思っているんだがね」といったアイデアを語っており、その後、ノモンハン事件に特化した作品を考えるようになった(132頁参照)」、「ついに話だけで、ペンをとろうとはされなかった。(中略)半藤はその要因として、鍵となる取材対象者との関係悪化をあげている(133頁参照)」、「司馬が、戦国や幕末・維新、明治という遠い時代を選び、そこから昭和を照らし返そうとしたのも、時間的な近さゆえの「なま乾き」を回避しようとしたためであったのだろう(133頁参照)」と記載し、司馬氏が昭和を題材にした小説を書こうとしたが挫折した話とその要因を述べている。

本書に「司馬の英雄こそが歴史を動かすという嗜好」(211頁参照)という文章があるが、決して司馬氏は英雄だけを取り上げていたわけではないと思う。例えば、『胡蝶の夢』。2021年4月16日にNHK教育で放送された第25回菜の花忌シンポジウム(2月12日開催)では、司馬遼太郎作の『胡蝶の夢』をテーマにディスカッションが行われた。医者達の奮闘が語られていた。まるで司馬氏がコロナの到来を予測していたかのような話だった。司馬氏は英雄だけをクローズアップしているわけではないと思う。ちなみに私は、毎年、放送される菜の花忌シンポジウムを楽しみにしている。

司馬作品が実用的で実践的な書物であることは、以下の文章が語っているように思える。①司馬作品で強調されていたのは、「変化への順応」ではなく、「変化への創造」だった(196頁参照)。これは、以前、読破した野中郁次郎著の『企業進化論』における情報処理(受動的)から情報創造(能動的)への変換に通じる。②「史実と史観の調和」という指摘は、鶴見俊輔の「太い線で書いてあるけれど、ディテールとブロード・ストロークスとその、両方がある」という司馬評に通じる(220頁参照)。これは、以前、読破したアーサー・ケストラー著『ホロン革命』におけるホロンの概念である「全体と個との有機的な調和」に通じる。司馬作品の真髄が経営学の骨子と合致していたことがビジネスマンを始めとする大衆に受け入れられた要因なのではないだろうか。

福間良明著の『司馬遼太郎の時代』という書籍を読んで、ずっとムカムカしていたことがあった。司馬氏を二流作家扱いしていたことだ。司馬作品は私の青春であり、司馬作品に勇気づけられ、司馬作品から多くのことを学んだ。この書籍を読んでも、私は司馬氏を一流の国民作家だと思っているし、司馬氏へのリスペクトは変わらない。ただ、吉田松陰先生を育てた玉木文之進氏に育てられた乃木希典氏は私は好きである。