大槻久志著『金融化の災い』という書籍を紹介する。 この日本の経済危機を救う方法を探究したくて、平成21年3月に高橋洋一著の『この金融政策が日本経済を救う』と大槻久志著の『金融化の災い』という二冊の書籍を購入しました。そして、大槻久志著の『金融化の災い』を読破いたしました。二つの書籍共、とても分かりやすく、内容も優れている名著なのですが、ひとつだけ私には同調できない部分がありました。それは、両書共、やたら政策批判、個人批判の記述が多いことです。私は無益な争いを好みません。故に、私が両書籍を読破したからと言

大槻久志著『金融化の災い』という書籍を紹介する。

この日本の経済危機を救う方法を探究したくて、平成21年3月に高橋洋一著の『この金融政策が日本経済を救う』と大槻久志著の『金融化の災い』という二冊の書籍を購入しました。そして、大槻久志著の『金融化の災い』を読破いたしました。二つの書籍共、とても分かりやすく、内容も優れている名著なのですが、ひとつだけ私には同調できない部分がありました。それは、両書共、やたら政策批判、個人批判の記述が多いことです。私は無益な争いを好みません。故に、私が両書籍を読破したからと言って両先生が批判されていることと私の意見が必ずしも同じではないということを申し上げます。政策批判、個人批判の部分が多いだけに誤解される前に申し上げた方が懸命だと思いました。ご理解下さいますようお願いいたします。私は純粋に日本の経済危機を救う方法を勉強したかっただけであり、その意味では、この両書はものすごく有意義な書籍でした。

今回、読破した大槻久志著の『金融化の災い』という書籍には特別な目新しいことが書いているわけではありませんでした。昨今、経済ニュースで語り尽くされていることがほとんどで、どちらかというと今回の金融不安不況がなぜ起きたかということの復習に役立つ書籍でした。物々交換経済から貨幣経済へ(67頁参照)。金貨から紙幣への変化(74頁参照)。貨幣とは物理的な側面よりも価値的な側面が重要であるということです。その紙幣発行に世界で初めて成功したのは私が大好きなイギリスでした。成功した原因は、イングランド銀行券は銀行に持ち込めばいつでも金貨と換えてくれることになっていた(兌換)のと、銀行がビジネスとして成功すると信じられていたからです(80頁参照)。イングランド銀行券の成功で銀行が貨幣を供給する時代が始まりました。銀行券発行以前はいくら高利貸しが威張っていても金蔵がからっぽになればおしまいでした。高利貸しは貨幣を造り出すことはできません。イングランド銀行は資本金として集めた金貨120万ポンドは右から左に政府に貸し、営業を始めて客がお金を借りに来たら最大限120万ポンドまでイングランド銀行券という自家製の貨幣で貸付けができます。併せて、240万ポンドを貸せるわけです。銀行券はいつでも金貨と取り替えるという約束ですが、それは預金として集まってくる金貨で間に合わせます。全部の銀行券が殺到してきたら当然お手上げで、それが金兌換=金本位制の限界ということなのですが、そんなことは通常ではありません(83頁参照)。銀行券発行の成功によって銀行はお金の量を増やすという最高の魔力を手に入れました。

銀行の役割は短期金融で、それは資本の循環運動の最終段階、生産が終わって流通の段階、価値が実現されるかどうかという場面で、資本の循環運動、価値増殖運動を助けるというところで発揮されます。舞台装置は預金口座の出し入れ、ツケ替え、ペイメントシステムといった貨幣取扱の仕組みです。それに乗って「信用創造」という貨幣をヒネリ出す魔法を使いながら銀行は役割を果たします。ところが時代が変わるとこれでは間に合わなくなりました。スティーブンソンが汽車を発明してから世の中が変わりました。19世紀はヨーロッパもアメリカも熱狂的な鉄道建設の世紀になりました。たくさんの鉄が必要になったのです。鉄を作るには鉄鉱石と石炭を掘らなくてはなりません。鉱山というのは実に大変な仕掛けがいるもので電気機械工業が発達しました。こういうわけで19世紀後半は鉱山業と重化学工業が大発展を遂げました。鉱山と製鉄所を筆頭に、それまでとは桁違いに巨額のお金が必要になりました。そんな大変な金額のお金をどうやって調達するのかが大問題になります。投下したお金の回収に大変長期間かかるとなると、資本の循環運動の最終段階に関係している銀行には対処しきれなくなります。長期貸出しをすれば何年も返って来ません。短期に借りて(預金のこと)、長期に貸せば、預金が急にたくさん引き出される時には返せなくなります。長期対短期という期間のミスマッチリスクとか、払うお金がないかもしれないという意味での流動性リスクと呼ばれています(132頁参照)。

このリスクの問題を解決するために考え出されたのが証券です。株式という償還期限のない証券、つまり返さなくてもよいという資金集めの手段と、社債という長期の証券の発行は19世紀以来の産業構造の重化学工業化、巨大な装置産業化、そして資金需要の長期化、巨額化にぴったりの金融でした。大資本集め時代に合致し、株式会社と証券市場は大発展を遂げたのです(142頁参照)。しかし、20世紀後半になると産業構造が変わりました。コンピューターと通信機器、モノ以外ではコンピューターソフト産業とインタネット・サービス産業が新しく伸びてきました(159頁参照)。ハイテク、情報通信(IT)機器はそれほど大きな産業ではありません。モノとしては大きくありません(160頁参照)。ある時期には大量の長期資金が必要になりますが、重層的な産業構造が一応完成する時期になると、お金は一転してあまり必要とされなくなります。逆にお金が余って困るという経済になります(163頁参照)。大槻久志氏曰く、この金が余った状態がマネーゲームを引き起こしたと述べています。規制の緩い私募を利用したファンドの暴走(176頁参照)、企業を食い物にするハゲタカファンド、総会屋紛いのグリーンメイラーなどが出現したこと(192頁参照)。さらに銀行も動産担保の貸出しや従来、貸し出していないかった者に貸出し、無理な貸出しを行ったと記載しています(206頁参照)。そして、大槻久志氏は、極めつけとしてリスクを誤魔化した証券化に触れ批判しています。証券化の例として、REIT(不動産投資信託)、RMBS(住宅ローンを証券化した証券)、CDO(再証券化商品)、SIV(仕組み投資信託)を挙げています(217頁参照)。中でもサブプライムという、借りても元金どころか利子を支払うだけの所得のない人達に盛大に貸し、金融工学を駆使した証券化により、リスクを誤魔化して海外まで売りさばいたことは特筆すべきことでしょう(212頁参照)。こういった経緯が現在の金融不安不況に繋がっていると述べています。私も不況とは不信から起きるものだと感じました。経済システムは信用や信頼から成り立っているのですから、根本である信用や信頼が失われれば、経済が回らなくなるのは必然の論理です。私は、この『金融化の災い』という書籍に記載されている全てに同意しているわけではありません。経済の中で金融は非常に重要な役割を担っていると考えています。しかし、私もこの『金融化の災い』という書籍に記載されているように「モノ作り」が経済の基軸だ(5頁参照)ということには同意見です。平成21年4月19日の『NHKスペシャル・マネー資本主義』という番組内で、元ソロモンブラザーズ副会長のカウフマン氏がリバレッジの過剰な拡大に警告を促したことと、「金融は経済の補佐役であることを忘れるべきではない」というカウフマン氏自身の持論を紹介していました。私も金融は経済を下支えする補佐役として重要な役割を担っていると思っていましたので、カウフマン氏の持論には共感できました。この『金融化の災い』という書籍の内容でもうひとつ同意見だったのは、私の大好きなイギリスの偉大なる経済学者のケインズ(主義)の復活を提言していたことです(250頁参照)。最後に、大槻久志氏は今後の日本の進むべき道として、EUを模範としたアジア共同市場・共同体を奨励していました(254頁参照)。